河口浅間神社の境内の森を抜け(後にし)――
次の目的地“母の白滝”へと向かいます。
神社のわきの林道を(舗装はされていますが、クネクネと上り坂の山道です)
[←母の白滝]の表示に従ってテクテクと歩いて行きます。
舗装されている道以外、両サイドは木々が生い茂り――
風が吹けば、葉っぱ同士がカサカサと鳴り、上空には鳥の鳴き声……
自然の空気いっぱいの坂道を登って行きます。
神社を出て間もない地点で――
“カサカサカサ……”
(落ち葉の上を走り抜けるような、テンポのいい音が林の中から聞こえてきます!)
“ガサッ、ガサッ……”
(走っては立ち止まり、その止まった瞬間!にする音がします!)
「ん!?何だろう――」
最初は何となく無視をしてやり過ごし――
そのまま坂道をグングンと歩いていました。
“カサカサカサ……ガサッ、ガサッ、カサカサカカサ……”
何回も耳に入ってきます。
林の向こう正面に(結構、近距離です!)なんと!!(驚きデス)
お猿さん発見!!!
しかも、親子猿を含め小さな群れで、数匹――
たくさん落ちていた、どんぐりや栗の実を食べていたのでしょうか?
(その辺のところはわかりませんが――勝手な推測デス)
「えっ!?うっそー!!野生の猿!?」
親子猿がこっちをジーっと見ています!
ヒェ~~!
慌てて目をそらしました!
(以前、お正月の日枝神社で『日本猿は“目が合う”と襲って来ますから、目を合わせないでくださいね』と注意を促していた猿遣いの言葉を思い出しました)
そして、「こちらは何もしないから……安心して下さい」オーラを出しまくり(笑)
さっきまで道路の端っこをノンビリと歩いていたのに――
少々緊張モードで、道の真ん中を静かにそろ~りと、まるで忍び足!(汗)でもって数メートル山道を上りました(苦笑)
野生のお猿さんの気配がなくなるまで、忍び足歩きは続きました(予想外でした!)
こちらは余談で、東京へ帰って来てから知った話ですが――
[富士山では木花開耶姫(このはなさくやひめ)のまわりをたくさんの猿が囲んでいる絵札が作られました。これは猿が富士山の神様のお使いだと信じられていたからだと言います。伝説だと富士山は紀元前360年の庚申の年に現れたそうです。そのために申(猿)は富士山にとても関係深い動物なのです。]
――という説を耳にし、
「あらま~」「ほー!」「ラッキー!」「ギフトだったのか!……」となりました。
何故なら、申年生まれ(自分)の人が、申年に富士山を見に来て、
最初に訪れた“河口浅間神社 御祭神――浅間大神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)”地にて、野生のお猿さんと遭遇!――
何だか、嬉しくなりました。(できれば現地でこのことに気づきたかったです。トホホ~)
しばらくすると、“河口湖山宮キャンプ場”という場所に着きました。
高台に広がるようにスペースが作られていて、眼下には河口湖が一望できます。
この辺りまで来たとこで、お猿さんの気配はなくなりました。
ようやく普通に歩けます!(笑)
まだまだ山道は続きます。
ただ、ただ坂道を上って行きます。
滝の流れる音、水の気配はいっこうにしません。
[母の白滝]を表示する看板めいた物も何もないので、
「まだかなぁ~ あとどれ位歩くのかな?」なんて気持ちがよぎります。
しばらく歩いていると、急に見晴らしがよくなり――
小さな小屋のようなカフェが一軒、ポツリと建っているのが見えました。
中からおじさんが出てきて、何やらチョロチョロと作業をしていました。
その様子は、お店自体がオープンしているのだか、店終いしているのか、微妙にわからずの感じでした。
(オープンしているのなら、帰りにコーヒーを頂きたいと思いました)
おじさんに挨拶をし、お店の前を通過――
遠くで、水の流れる音がします。
もしかして!?――“母の白滝”に間もなく到着!の予感。
上り坂、終了!――
母の白滝へ、なだらかな下り道、滝の流れる音だけが聞こえてきます。
ワクワクします♪
下りきった先に――
ザーーーーー!!!
その名のごとく、母のように『さー、いらっしゃーい!!!』と、全てを包み込むかの勢いとやさしさでもって、たくさんの水飛沫をそこかしこに弾き迎えてくれています。
母の白滝神社、“母の白滝”に到着です。
「うわぁーーー!!!」 気持ちいい!の一言に尽きます。
しかも誰もいません。
滝へ近づけば近づく程――
滝一体(滝に宿る、共に在る神=高次元)の異空間へ誘われます。もはや、足をついていることすら忘れそうになる感覚に見舞われます。(フフフ)
自身のカラダが内外より満たされ、この身は軽くなり、お腹いっぱい――
いつまででも、ここ在りたい――そんな気分です(大満足デス♪)
母の白滝神社・母の白滝
御祭神――万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)で
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姑神であり、平安の頃より富士山登山者は村の宿坊を宿としてこの滝で身禊を行ない、富士登拝の安全を願った。とありました。
『母の白滝』
そこは、今に在りながら――
母の懐――
“空で在る”を体感できる――
とてもとても素晴らしい“空間領域”
一体どれだけの時間、この滝と共に過ごしていたのでしょうか?――
時間感覚もマヒした頃、大満足の中、母の白滝を後にしました(笑)
安心の中で、寄り添い・サポートできるよう 準備してお待ちしております。